shojiot

よく覚えとけ。現実は正解なんだ。時代が悪いの、世の中がおかしいと云ったところで仕方ない。現実は事実だ。そして現状を理解、分析してみろ。そこにはきっと、何故そうなったかという原因があるんだ。現状を認識して把握したら処理すりゃいいんだ。

– 立川談志 (via ある編集者の気になるノート) Via entish


日本の「ムラ社会性」がよく批判されますが、これを見るとわかるように、世界の大半の国は日本よりもはるかにベタなムラ社会です。日本社会の開放度は、アングロサクソンの国々(アメリカ、カナダ、オーストラリア)やヨーロッパ・プロテスタント圏(スウェーデン、オランダ)よりは劣りますが、フランス、イタリア、スペインなどヨーロッパ・カトリック圏の国々とほぼ同じで全体の上位3分の1あたりに位置します(日本はアジアでもっとも開放的な社会です)。

「ムラ社会性」よりもずっと目立つのは、日本人の「世俗性」の高さです。この価値マップや、世界価値観調査のさまざまなデータが明らかにしたことは、「日本人は、世界でも突出して世俗的な国民である」ということです。

日本人はどんな場所にいるのか? イングルハートの価値マップ | 橘玲 公式サイト (via paradisemaker) Via paradisemaker's notes

じゃんけんで決める、と教官が言った。はあいと私たちはこたえた。私はそのとき大学生で、ゼミのキックオフミーティングに参加していて、発表の順番や雑用の担当を決めていた。

そのあとの飲み会で、でもどうしてですか、と誰かがたずねた。なんでじゃんけんなんですか、先生が適当に割りふるとか、話しあって決めさせるとか、そういうんじゃなくって。

彼は眉をたがいちがいに動かしてから、偶然がいちばん正しいから、とこたえた。

あのさ、みんな人前で発表するのとかはじめてじゃんか。なるべく遅くにやりたいよね。文献読むのだって先延ばしにしたいだろうし。俺が学部生のときだってそうだったもん。ほかに楽しいこといっぱいあるし、とにかく布団から出たくねえよ、みたいな日もあるし、バイトで稼ぐのがいちばん大事な時期もあるし、だいたい、若いとすぐ変なこと考えてなんか穴っぽいところにはまるんだからさ、あれってなんだろうな、ホルモンバランスが崩れてんのかな、まあともかく、そういう若者であるところのみんなに、偶然以外のなにかで適切に負担を割り振れる気が、俺はしないんだ。

先生わかりませんと別の誰かが言った。じゃあ一般化する、と彼はこたえた。赤いベレー帽をかぶってくれないかなと私は思った。彼は有名なゲームの主人公に似ていた。

正解がないものごとを決めるときにはいくつか選択肢がある。えらい人が決めるとか、話しあって決めるとか、外から決める人を呼んでくるとか。でも話しあいにも独断にも材料が必要で、世の中のけっこう多くの課題には判断の材料がない。ないのにあるふりをするのはきれいじゃない。それなら偶然のほうがずっといい。神さまがいない人はそうするしかない気がする。そういう理由で、うちのゼミの最高意志決定機関はじゃんけんです。

彼はそう話し、私たちはあまりぴんとこなくて、適当な相槌をうった。彼はまた眉をたがいちがいにして、わかってないなあ、と言った。

若いうちはわかんないのかな、偶然に起きてしまったものごとの暴力的な説得力が。努力とか才能とか、人為のほうが立派だと思ってるのかな、そういうのももちろんすばらしいと思うけど、でも偶然はなにしろ圧倒的に強いし、美しいよ。だから俺はじゃんけんが好きだ。

それから十年が経った。どうしてだか機会があって、何年かに一度は彼と会う。

仕事の相談をした後に近況を訊かれて、相変わらずですと私はこたえた。だめじゃん俺なんかこの三年で結婚して子どもできたよ、もっとがんばれ。彼がそう言うので私は笑って、どうして先生と同じ方向にがんばらなきゃいけないんですかと言った。

ごめん嘘ついた。実はがんばってない。家庭を持ったのはたまたま。彼はそう言ってまた私を笑わせ、じゃんけんの話おぼえてる、と訊いた。私はうなずいて、偶然が先生の神さまだっていう話ですよねと確認する。なんだつまんない覚えてなかったらまた話そうと思ったのにと彼は言った。

それなりに年とって、結婚どうしようかなーと思って、偶然で決めようと思ったんだよね。相手のことはもちろん好きだったけど好きなら結婚するってものでもない。子どもができたら子ども命になっちゃったけどそのときはそんなことわからない。どっちもいいような気がした、どっちもいやな気がした、でも選択しなくちゃいけなかった、そのときするか一生しないかっていうタイミングで、だからお告げがほしかった。ひとりでじゃんけんはできないからコインを投げた。今でも持ってる。

彼はそう話してから落ちつきのない動作で十円玉を取りだし、当たり前のように投げてよこした。さっきの相談、それ投げて決めなよ、俺も正解わかんないからさ、俺の神さま貸してあげる、表か裏か決めて投げて、ほら今、すぐ。

私はそのコインを投げた。

神さまを借りる - 傘をひらいて、空を (via kml) (via yu5yam) (via wingknights) (via plasticdreams, plasticdreams)

2010-07-05

(via gkojay, gkojay)

(via kakera, kakera) (via pokepuyo, pokepuyo) (via kojiroby, kojiroby) (via twominutewarning, twominutewarning)

(via galliano, galliano)


僕が教わったデザインの教授は、7つのwhyに答えられない者はグラフィックデザイナーではないと常々口にしていました。何故ならデザインの基本要素は7つ存在していて、そのそれぞれに対してBecauseを考えるのは基本中の基本であるとされているからです。

下記が、デザインにおける7つのBasic Elements(基本要素)です:

  1. Line(線)
  2. Color (色)
  3. Shape (形)
  4. Space (空間)
  5. Form(フォーム)
  6. Value (明度)
  7. Texture(質感)

米国のデザイン教育から学んだこと | サンフランシスコのWebコンサルティング会社 -ビートラックス- スタッフブログ (via onaniena) Via Galliano's tumblr

mariusu:

making friends (by clooudylemonade)



(出典: howtoloveacat)



cavum:

(by girlhula)


アイデアは一瞬で腐る

アイデア出しは twitter 。twit という専用ツールを常時起動しておくと、 クリックから書き込み可能になるまで0.5 秒ぐらい。

「コンマ秒」を追求するのは、アイデアを出すときにはとても大切。

アイデアが浮かんでから、それを文章に定着させるまでの時間というのは、短ければ短いほどいい。 「1 時間を10分に」なんてスケールではなくて、1 分では遅すぎて、最低でも1 秒以内、 「コンマ秒」を縮められるなら、ツールを総とっかえしてもいいぐらいに大切。

アイデアは、生まれた瞬間から腐りはじめて、すぐに蒸発する。

「覚えているから大丈夫」とか、「忘れるアイデアというのは最初からその程度のもの」という 考えかたは間違っているし、それはたぶん、すごくもったいない。

神様は細部に宿る。面白い概念浮かんで、それをすぐ文章に定着すると、 少なくとも書いたその瞬間は、文章としてすごく面白そうに見える。 ところが頭で「暖めた」発想からは、最初に浮かんだ瑣末な枝葉がなくなってしまって、 なんだかつるんとした、アイデアの「本質」みたいなものしか残らない。

「本質」なんかには何の価値もない。

半日も暖めたその「本質」というのは、「相手を敬おう」とか、「言葉は大切」とか、 なんだか陳腐な、誰にでも思いつけそうな、間違ってはいないんだけれど、そこからはどうやっても 面白い文章なんて生まれないような、そんなろくでもないものになってしまう。

偉い人の人生訓というのは、時々どうしようもなく陳腐でつまらなくて、 これだけ面白い「生」を駈け抜けた人が、どうしてこれほどにつまらない言葉しか持てないのか、 理解に苦しむことがある。それと同じ理屈なんだと思う。

アイデアプロセッサとか、少し前ならwema とかマインドマップとか、 高機能で便利そうで、実際使ってみるととても便利に使えるツールはたくさんあるけれど、 そんなツールの致命的な欠点というのは、つまるところ「コンマ秒」レベルの遅さ。

twit でtwitter に書き込むのと、ブラウザ立ち上げてwema に書き込むのと、時間にすると2秒も違わない。

残念ながら、アイデアにとっては、2秒というのは妥協不可能な、 どうしようもない遅延であって、もったいなくて高機能なツールは選べない。


質より量

アイデアというのは、ゆで卵みたいにつるんとした「本質」から、 無数の細かい枝葉が伸びて、ウニだとか、神経細胞みたいな形をしている。

同じ「本質」から生える枝葉の形が変化すると、アイデアというのは、しばしば 全く違った形に見えるし、同じ「本質」が、運用のやりかたひとつで真逆の論理を 補強するための材料として使えたりもする。

本質を伴わないアイデアというものは存在できないけれど、 「本質」に相当する部分というのは、「ある」という以上の価値を持たない。 本質の面白さ、つまらなさというものは、アイデアの価値それ自体には何の影響も与えられない。

残念ながら、本質と切り離された枝は、価値を評価することができない。

ある文脈では、その枝葉を持ったアイデアには大きな価値が生まれるけれど、 文脈がわずかでも変化すると、そのアイデアが力を失ったり、あまつさえ邪魔になったりする。

文脈と切り離された「アイデアそれ自体」に価値を見出してしまうと、ろくなことがおきない。

当初はいいアイデアだと思った何かは、文脈が変わってもそこに居座り続けて、 文章の流れを乱してしまう。邪魔ならどかせばいいだけの話なんだけど、 アイデアのストックが少ないと、つい「もったいない」をやってしまって、 文章全体が腐ってしまう。

特定の文脈で価値を持つアイデアだけを発想することなんてできない。 アイデアに質を求める立場は、しばしば量を制限してしまうし、 量を伴わない質からは、結局のところ「いい流れ」を持った文章は生まれない。

twitter を中心にした文章生成作法 - レジデント初期研修用資料(旧) (via paradisemaker) Via paradisemaker's notes

松浦亜弥との対談で、作詞もやってみたいという松浦に対して松任谷由実は

「…だから、曲とか詞を書くっていうのは、もう生活、生理、いっしょだから、食事したり歩いたりすることと。言われる前から書いてるのよ、人が止めようと、勧めようが、勧めまいが。自分の欲求として、もう幼い頃から作っちゃっている。もちろん、ある日突然、書きたくなって、自分で書いたものを、自分の言葉を歌いたくなって、ひらめいちゃって、ってことはあるかもしれないけど、書いて歌うようになりたいんです、って言っているようだったら、書かない方がいいと思う。…」

(東京 FM「松任谷由実 For Your Departure」2005年10月30日放送分より)

– 「いろんなことが起こる」2006年04月29日 (via yasunao) Via Attics of my Life
121
To Tumblr, Love PixelUnion

We're updating Fluid!

Soon, we'll be updating the look and feel of this theme. Read about the changes here. You can easily turn off this notification in the theme customization panel.

Close